2009年7月21日
マジャパヒト王国
13世紀末から16世紀始め頃までジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国。最盛期にはインドネシア諸島全域とマレー半島まで勢力下に置いたと現代のインドネシア共和国のナショナリズム歴史教育下ではなっているが、これは神話などを基にした誇張に過ぎず、実際には中東ジャワ支配したにすぎないのが世界歴史学の定説である。なお、表記に「マジャパイト」と書くこともある。綴りは"Majapahit"であるが、ジャワ語では、h音を発音しないからである。
1293年元王朝は朝貢を拒否したジャワのシンガサリ王国に遠征軍を派遣したが、シンガサリ王クルタナガラはクディリ王家の末裔と呼ばれる当地の領主ジャヤカトワンの反乱によって殺されていた。クルタナガラ王の娘婿であったウィジャヤはジャワ北岸のトゥバンに上陸した元軍と同盟して、ジャヤカトワンが乗っ取ったシンガサリ王国を滅ぼし、さらに元軍をジャワから追い出してマジャパヒト王国を建国した。ウィジャヤの即位名をクルタラジャサ=ジャヤワルダナという。王国の都はジャワ島東部プランタス川流域のマジャパヒトに置かれた。
マジャパヒトと元朝の関係は当然悪化したが、フビライ汗が死去すると大きく好転し、1295年から1332年の間に10回の朝貢が行われた。
1328年にジャヤナガラが死去すると後継男子がいなかったので、故クルタナガラ王の末娘ラージャパトニに後を継がせたが、ラージャパトニは熱心な仏教徒で出家していたので、娘のトリブワナーを摂政として政務を取らせた。(インドネシアの歴史教科書『インドネシア国史』(Sejarah Nasional Indonesia)では、トリブワナが王位に登ったとする。)この頃、親衛隊長から宰相に抜擢されたガジャ・マダがマジャパヒト王国を最盛期に導くことになる。1350年ラージャパトニが死去するとトリブワナーの息子ハヤム・ウルクがラージャサナガラとして即位した。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
古代にこのよう王国が存在していたなんて、とても考えられません。
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